戦略的思考という紋切型思考
僕は戦略という表現が嫌いです。 最近、ことあるごとに戦略とか戦略的という言葉を見聞きします。 戦略とは、あるいは戦略的とはどの様な意味なのでしょうか。辞書によると「戦術より広範な作戦計画」とのこと。つまるところ計画です。しかし、最近の書籍や雑誌を読むに、戦略と言う表現は金科玉条のようにたてまつられ、「戦略的」=高等思考かのような紋切型な思考が広まっているように思えるのです。 つい先日、2日後をサービス開始に控えたチームに対し、 「 準備がなっていない。もっと包括的な視点から戦略を立てろ」 という指示が上司から飛びました。 僕にとってこの指示は「2日間という時間制約の中で最も効果が高い計画を立てる」事と理解しました。極めて近視眼的ではあります。しかし、2日後に戦争があり、その局地戦がどれだけ重要なのかは現時点で不明な場合、2日後の戦争をいかに負けずに済ますかが最も重要な議論となるはずです。 しかし、多くの上司はそれは戦術であり戦略では無いと言うのです。2日後の戦争が局地戦なのか雌雄を決する一戦なのかをMECEに分析し、その結果を踏まえて短・中・長期的な手を計画することが戦略だと言うのです。 ご説ごもっともですし、正しいです。MBAでもそう習いました。 しかし、2日前の段階でそうしたグランドデザインが無い以上、近視眼的に次戦を勝ちに行くこと、そのことこそが戦略なのだと思うのです。その段階で、戦略とは?戦略的思考とは?などと議論すること自体ナンセンスに思えるのです。 戦略というものは素晴らしく学問的であり論理的であり芸術的であるような、そういう一般的幻想が僕は嫌いなのです。勝てるのであれば、時にはとても非学問的であり感情的であるべきだと思うのです。 ビジネス・業界 ブログランキングへ