高齢者投票権按分法
老害ジャパン 老害を最小化する法律を作りたい。 日本体操、ボクシング、アメフトにおけるパワハラ、不正会計や脱法行為を続ける大企業、そこに居るのは確実と言っていい高齢者の存在。 全国放送にて謝罪と説明を行う若者に対して、一切テレビに出ず文章の謝罪にて茶を濁す高齢者。チャレンジという名のもと、若者に無理なノルマを課して、自分の名声と退職金を釣り上げる高齢者。 すべてがすべてじゃないという議論は十分も承知だが、もうそろそろ限界。 医療費や年金にメスを入れようとすると「弱者切り捨て」と騒ぎ立てるマスメディア。しかし、日本全体が病んでいくなかで出血を止めなければ、全員が死んでいく。高齢者とくくった人たちも、人の子であって個人としては「孫のために」「人のために」生きている。しかし、権限を持ち、集団となった瞬間に、「あれもほしい」「これもほしい」といった言論が増える。 上がつまれば横に行く 日本に若者の余地は小さい。すべてが高齢化してきている。TV番組をみれば、30年前と同じタレントやその二世タレントばかり。唯一の新陳代謝は芸人くらいか。 こうなると、新人タレントは出る枠がない。枠を取りに行くと、老害権力者からのセクハラやパワハラに会う。ひどいのは、その高齢者はくちを揃えて「あれくらい我慢出来ないようじゃ私のレベルにはなれない」「彼/彼女のためを思って」と言う。その思考そのものが老害化している。 老害がはげしい組織では上が詰まる。そうすれば必然、横にふくれるしか無い。テレビからYouTube、企業からフリーランサーへ、日本から海外へ。良い点もあるだろう。 しかし、ここにあるのは「高齢者うるさい」という忌避感。この感覚が強まれば強まるほど、日本という国の一体感はなくなる。国への忠誠心、愛情、愛着というアイデンティティを失った瞬間に、国という概念は崩壊する。 失うものが多い高齢者 自分も歳をとって感じることがある。それは、歳を取れば取るほど失うものが多くなる、ということ。サラリーマンであれば、尊厳や肩書などがそれにあたる。個人であっても、資産や人間関係など。積み重ねてきた何かが、ずっしりと重みを増して、目の前にある判断を濁らせる。 「彼の発言を認めては自分の威厳が失われる」 「60年も積み重ねた知識が、若年の知識