がばいばあちゃん!そりゃそうなんだけど愚息にはできません。。。

前回のブログで紹介した『口笛吹いて』と一緒に買ったのが『佐賀のがばいばあちゃん』。数年前にいろいろと名前を聞いたので、こちらも興味本位で買ってみました。

がばいばあちゃんの生き方は、とても簡素でありながら誰もがあらがうことのできない真理を持っています。そうした真理が、具体的な情景を添えてユーモアたっぷりに書かれているため、久々に時を忘れて読書に没頭しました。

しかし、島田洋七さんの前書き部分がどうしても納得いかず、それが為に著書そのものが軽薄に思えてしまったのも事実です。重松さんの作品を読んだ後だったことも大きく影響しているのでしょう。

島田さんは前書きでこうおっしゃっています。
「(前略)「今、世の中はひどい不景気だ」とみんなは言うけれど、何のことはない。昔に戻っただけだと俺は思う。変わってしまったのは、人間の方だ。(中略)リストラされた人は気の毒だと思うけれど、それだってものは考えようだ。朝八時に起きて満員電車に揺られて会社に行って、働いて、残業して、飲みたくもない酒の席に付き合って、終電車に乗って帰ってくる・・・・・・そんな人生から解放される新たなチャンスだと思うことだって、できるはずだ。(中略)本当はお金なんかなくても、気持ち次第で明るく生きられる」

その通りだとは思うのですが、やっぱり現実は違う気がするのです。幼少の島田さんを、おばあちゃんに預けざるを得なかった島田さんのお母さんは、きっと「お金があったら、息子にこんな苦労をかけずに済んだのに」と思ったでしょうし、満足に子供を育てられない自分を責めたこともあったのじゃないかと思います。

リストラされても一人なら何ともないかもしれません。しかし、子供が、妻が、親戚が、といった周囲の環境がそこまで単純な回答を許さないのだと思います。例えリストラされた本人が「お金がなくても、気持ち次第で明るく生きられる」と言いきれても、その価値観を奥さん(旦那さん)が共有してくれる保証はありませんし、子供は学校でいじめの対象となるかもしれません。そのような理想と現実のギャップが、重松さんの作品にはあったため、島田さんの前書きが何とも薄っぺらく感じたのです。

理想と現実が一致することが一番なのですが、一致しないところにむしろリアリティを見てしまう。歳をとったのかなぁと思った飛行機内でした。

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