クラシコにみる報道の「中立性」

モウリーニョ発言でいろいろと場外戦が生じた今回のクラシコ、ウェブや新聞にもこの場外戦が波及します。

僕を含め色んな人がブログでコメントしたり、ニュースで試合を分析したりと読むものが沢山で、サッカー好きの僕としては嬉しい限りです。そんな中、多く見かけるのが「中立的な意見」というものです。

CL2戦目が明けた今日、MUNDO DEPORTIVO、 SPORT及びASのスポーツ新聞3紙を読んでみました。前述2誌がカタルーニャ系、ASはマドリッド系の新聞です。従って記事の内容もこんな感じ。(僕のスペイン語能力はさほど高くないので誤訳に対する場外戦はご容赦願います)

事実
レアルのファール数 31
バルサのファール数 10

MD (MUNDO DEPORTIVO) & SP (SPORT)
レアルは3分に1回ファールをしているのに対し、バルサは10分に1回。レアルはチャンピオンズリーグ史上最悪とも言えるファール数を記録しバルサに敗れ去った。

AS
バルサはレアルの3分の1しか笛をふかれなかった。ここにもバルサ有利の笛の影響が見て取れる。


事実
バルサが勝ち抜けし、レアルが準決勝敗退

MD
サッカーの勝利

SP
バルサはサッカーを語り、レアルは言葉を失った

AS
取り消されたイグアインのゴール
審判再び現る

完全に自地域側に偏った記事となっています。僕は別に偏っていることを否定していません。偏っているからこそファンは買うのでしょう。

むしろ逆に、様々なブログ等にみる「中立的な視点」という表現に少々首をかしげます。結局のところ何を書いても中立とは言えないのではないかと。イグアインのシュートはゴールであるべきなのかどうかは万人の主張があるでしょう。アデバヨルが退場処分になるべきだったかも万人の主張があるでしょう。その万人はお互いの万人の意見を閲覧し、自分側意見と反対意見と無視意見の3色に色分けします。「僕は無色透明です」といったとしても、それはいずれかの色が付けられるか、もしくは無色がために存在しないものと無視されるかです。

例えば「僕はバルサもレアルも応援しない中立的な存在です。その僕から見てイグアインのシュートはゴールと言えるのではないかと思います」と言ったとします。 バルサファンにとっては反対意見で、レアルにとっては自分側意見にあたります。つまり僕はバルサのファンにとってもレアルファンにとっても中立ではありません。そして、その他の「中立意見」にとっても同じように扱われます。僕は中立と思うのだが、世間はそれを中立と呼ばない訳です。

意思を持つ人が発言し、意思を持つ人が聞き取る以上、どうしても色がつきます。ならば、「中立的」といった無意味な枕詞を付けず、ズバっと意見を言ったらいいのではないかと。

弁護士や裁判官などは中立だ!と言う意見もあるかもしれません。ならばレフェリーだって中立でしょう。結局のところ、純粋な中立など無いのかなとクラシコを見て思うのです。違いがあるのは説得力のある意見かどうか。

変なところで考えをめぐらしたクラシコ4連戦でした。


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