目標設定のプレッシャーから開放されること

いろいろな本や、いろいろな方に目標設定の大切さを教わってきました。

「目標を決めて、その目標に向かって必要なことを積み上げることが大切」
「目標のない努力は無駄になる」

このような話を聞くたびに、人生の目標を持っていない自分は、なにか人として欠けている気がしてきました。

特にイチロー選手や孫正義さんなど、一流スポーツ選手や有名起業家の話を聞くと、ますます自分を小さく感じてしまいます。小学生とかから1つの目標を追っている人に対して、いまさら目標を見つけたとしても追いつけないという諦めも感じます。

一方で、自分のことを、なにか明確な目標を持って人生を歩んでいると、見ている人もいます。

そのように見られるたびに、自分の中では恥じ入りたくなるような気持ちになり、必要以上に謙遜したりもします。自分の目標は、断固たるものではなく、世の中を歩いていく上で装備・装着したものだからです。自分自身で、その目標がこの世に生まれた天命なのか、正直自信はありません。でも、時と場合によっては目標を断言しないと、この世では評価されません。

話は変わりますが、最近ランニングをはじめました。

マラソンに出場するとか体重を落とすとか、そういう目標はありません。ただ、毎日続けることで自分の精神力を鍛えたい、という目的から走り始めました。距離も時間も問わず、ただ毎日走ることが目的です。雨でも走る。100メートルでも走る。

30日も続けるうちに、もっと早く走りたい、マラソンに出てみたいという欲が生まれてきました。

目標というものはそういうものなんじゃないかと思い始めています。

最初から目標を決めることは難しいけれども、なにかを無目標で続けてみるうちに、目標を立てられるだけの視界と欲が生まれてくる。「世の中から貧困をなくしたい」から、NGOを立ち上げるのではなく、なにか貧困の役に立つことを続けてたら、NGOを立ち上げる目標が生まれ、NGOを立ち上げたら世界を変えたくなる、そんなものなんじゃないかと。

人生の目標を見つけるためには、目標など何もなくても、何かを続けることが大事なのかもしれないと思っています。

たくさんのことを毎日続けられれば最高です。しかし現実は、たくさんのことを毎日続けるほど時間がありません。だからこそ、効率的に目標を見つけたくなります。でも、この「効率的」という言葉が、無目標でなにかを続けることにストップをかけます。

「こんなこと続けてなんの意味があるの?」

限りある人生のなかで自分の天命に出会えるかはわかりませんが、何かを続けることしかないのかもしれません。少し試すだけじゃなく、ただ続けること。続けることで、偶然見つけられるもの、それが人生の目標であるのかもな、と思い始めています。

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